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日本の仏教形式での葬儀観

このお知らせでは、日本の仏教形式での葬儀観に関して記載します。



葬儀での慣習

通夜は古代の(もがり)に発している。葬儀の前夜祭の形態をとる。

誰かが寝ずの番をして(交代でもよい)、夜明けまで灯明線香の火を絶やさないようにしなければならない

(魔除けの意味がある)。

近年では消防署などにより、式場では夜間の火は焚かないよう指導が入ることもあり、都市部の式場では夜通しではなく、

半通夜と呼ばれる形態で夜は遺族が帰ってしまう場合もある。

僧侶などによる葬儀が終わると出棺が行われ、多くの参列者とは別れるのが一般的である。

出棺の際に、故人が使っていた属人器であるご飯茶碗を割ったり、座敷を掃き出したり、カゴやを転がしたりする風習

が残っている地方がある。

火葬場に向かう道と帰り道は同じ道を通らない。

一本道で難しい場合であっても、可能な限り同じ道を通らないように努力しなければならない。埋葬した死霊が付いて来ない様

にするためである。

逆に同じ道を通らなければならないとする風習もある。

葬儀終了後に「振り塩」と呼ばれる清めを撒く(ただし、これは神道由来の慣習であって、死を穢れとみなさない仏教の

教義に反するとの考え方が多くなり、元来これを行っていなかった浄土真宗を中心に、近年では行われない場合も少なく

ない)。

遺体を安置する場合には、遺体の胸の上に魔除けとして刃物を置く。これを守り刀と呼ぶ由来は武士の社会で、刀によって

魔を斬るといった意味や魔物の使いとされていたが光り物を嫌がるので刀を置くことが魔よけとされた。

遺体を安置すると、そこに供え物として枕飯、枕団子を供える。枕団子は米の粉(上新粉)などを丸めて作ったもので、

数は地域によって差があり、六地蔵六道から六個とする説と、十三仏などからとった13個とする説がある。

なくなった日から一個ずつ増やして四十九日までお供えし、49個飾る地域もある。枕飯はご飯を御茶碗に山盛りにして、

御箸をさして飾る。

一般に告別式友引の日を避けるが、これは俗に“友を(死に)引かない”よう配慮するためとされる。ただし、元来六曜は、

仏教とは関係がない、賭け事、勝負事から入って来ており、友引とは「勝負事で友人と引き分ける」という意とされ、

陰陽道との混淆に由来する。ゆえに友引の日に告別式を行わない風習は迷信と考えられる。

火葬場は友引の日が休業日になっている所が多いが、友引でも休業日でない所も増えて来ている。

墓地など埋葬する場所まで送ることを野辺送りということがある。

三回まわしと言って、出棺する前に棺をその場で3回廻したり、建物を3回廻ったりして出棺する風習が一部地域で見ること

がある。

振り銭・振り餅、葬列時に花籠(竹の籠から割った竹を幾本も垂らし、紙の飾りをつけた物)に銭や餅を入れ落としながら

葬列する風習もある。

またざるから手で取って撒く場合は撒き銭・撒き餅などとも言う。

なお、同じ日本でも、沖縄県では中国の文化の影響を強く受け、琉球の信仰に基づく葬儀の風習はかなり特異であり

告別式の前に火葬を行うのが普通である。

また東北地方、中国地方、九州地方の一部でも告別式の前に火葬を行うことが多い(骨葬)。

仏教形式の葬儀観

日本の葬儀の大部分は仏式(葬式仏教)で行われている。

1635年(寛永12年)ごろ、日本人全員を近くの寺に帰属させる寺請制度が始まり、1700年(元禄13年)ごろには、

位牌仏壇戒名といった制度が導入され、葬式に僧侶がつくようになった。それまでは「葬式組」と呼ばれる村落共同体の

グループが葬式を仕切り、棺や装具をつくったり炊き出しをしたりしていた。

浄土真宗日蓮宗を除き日本の伝統仏教においては、葬儀は死者に対する授戒成仏が主たる意味を持つ。

つまり、死者を仏弟子となるべく発心した者とみなし、戒を授け成仏させるための儀式である。

浄土真宗では教義上、無戒のため授戒はなく、仏徳を讃嘆し、故人を偲びつつ報謝のまことをささげる儀式となる。

迷信を忌む宗風から、日や方角の吉凶を選ぶ、守り刀、逆さ屏風、左前の死装束、北枕、六文銭の副葬、振り塩(後述)など

の習俗は、原則としておこなわない。

日蓮宗では法華経を受持すること自体がすでにを保つことであるとして死後あらためて受戒を行わないが、地域によっては

通夜の際に受戒作法を行う場合もある。

葬儀の流れは宗派や地方により多少異なるが、大まかな流れは、まず死後すぐに枕経を行い遺体を拭き清める湯灌をした上で

納棺し通夜を行う。

翌日に葬儀と告別式を行い火葬・拾骨又は土葬し、自宅に中陰壇が設けられる。遺族は、死者の追善を7日ごとに49日間に

わたって中陰法要を行うものとされ、この期間を中有または中陰と呼ぶ。

初七日はその最初の法要である。

満中陰の七七日(四十九日)法要は一般に壇払い、または壇引きと呼ばれるもので、死者の遺骨や位牌を安置していた

中陰壇を取り払うことからこのように呼ばれる。

壇払いを済ませると服忌期間が終了し、遺族は日常の生活に戻る(いわゆる忌明け)。

現代においては、この7日ごとの法要を全て行うことは、生活変化から少なくなりつつあり、会葬者が頻繁に集えないことや

会場が葬儀場で営まれることなどから、『繰り上げ法要』と称し本来7日後に行なう初七日を引き続いて行なうことが多い。

初七日は火葬を終えて自宅に帰る途中に所属寺院(菩提寺)に立ち寄って行われるか、自宅に帰り、還骨のお経を兼ねて行わ

れることが多い。

有名人などの葬儀で、密葬を行ったうえで本葬を行う場合、本葬終了後に初七日を行うケースもあり、この場合は死後7日

以上経過していても初七日として法要が行われる。

あと、中陰法要の日は、初七日と七七日まで全て行えるよう参列者の都合を優先し、土曜日や日曜日に法要をずらすことが

ある。

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